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狭山教会は1989年に創立された 約30年の歴史をもつ プロテスタントの教会です。1989年に 狭山市で 開拓伝道をはじめ、現在 約20名の教会員が おります。創立以来、この地にあって イエス・キリストの愛と福音を 伝え続けています。礼拝、祈祷会、その他の集会など、お子さまから大人まで、どなたでもお気軽にお越しください。



次回礼拝
復活節第4主日
4月21日(日)10:30
説教「神の選びの祝福」 中田正道牧師
聖書「ローマの信徒への手紙 9章6-13」


2023年3月19日(日)礼拝
説教「栄光のすがたへ・・・」 中田正道牧師
聖書「ルカによる福音書 9章28-36」

 今日のテキストは、一般に「イエスの変貌の記事」と言われています。同じ記事は、マタイによる福音書にもマルコによる福音書にも伝えられています。この出来事を体験したのは、イエスの12弟子の中のペトロとヨハネとヤコブの3人だけでした。

 28節にイエスは「祈るため」に山に登られたとあります。そして、イエスは、しばしば、「祈るため」に人里離れた所や、山に退かれました。祈りというのは、神との対話と言われます。神の願い、神の御旨を求める祈りです。すなわち、神が望んでおられるものや神の世界についての対話です。イエスが十字架につけられる前に、ゲッセマネで祈ったように「主の御旨がなるように」と願うのが祈りの究極的なものです。

 31節を見ますと、「二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」とあります。つまり、これは、イエスがモーセとエリヤとだけで十字架のことを話していた様を描いているのです。イエスに与えられる苦難の十字架の道について話し合っていたのです。ここに「最期について」とありますが、これが聖書の原典では、エクソードォスという言葉が使われています。旧約聖書では、エジプト脱出に使われた「出ること」「出口」の語です。モーセが自ら体験した救いの業でした。エジプトで奴隷であったイスラエルの民が解放されて自由が与えられた事件です。この同じエクソードォスが、イエスの十字架に使われているのです。イエスの十字架は、まさに、抑圧されている当時の人たちが、奴隷の状態にあったところから解放される最も重要な救いの業なのです。特にこの世で抑圧と差別されて苦しんでいる人々がイエスの十字架によって解放される救いそのものなのです。ですから、イエスは私たちの救い主なのです。それをエルサレムで遂げようとされているのです。その言葉が使われていることに意味があり、私たちはそのところに注目したいと思います。

 今から2千年前にイエスが十字架につけられて死なれたのは、実は神が、私たちを救おうとされた計画なのだということです。そして、私たちは、壮大な神の救いの歴史の中に生かされていると捉えることができるのです。神は、イエスに大いなる栄光を与えました。ここで栄光の姿になったというのは、その先取りでした。そのように、私たちもイエスに倣って歩むことによって、同じ栄光の姿に与るということにつながるのです。そのためにも、喜びと希望をもって、常に主イエスの言葉に聴き従う歩みをしたいと思います。




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