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狭山教会は1989年に創立された 約30年の歴史をもつ プロテスタントの教会です。1989年に 狭山市で 開拓伝道をはじめ、現在 約20名の教会員が おります。創立以来、この地にあって イエス・キリストの愛と福音を 伝え続けています。礼拝、祈祷会、その他の集会など、お子さまから大人まで、どなたでもお気軽にお越しください。



次回礼拝
降誕節第7主日・公現後第5主日
2月5日(日)10:30
説教「必要な糧を今日与えて下さい」 中田正道牧師
聖書「マタイによる福音書 6章9-13」


9月18日(日)礼拝
説教「わたしのもっているものをささげます」 中田正道牧師
聖書「マルコによる福音書 12章41-44」

 この聖書箇所は、神に献げるということがテーマになっています。それは、お金のことをいっているのでなく、この世的に小さな者であるこの身をも神さまの働きに献げるという、基本的なキリスト者の姿勢が示されているように思える箇所です。それは、有り余ったものの中からではなく、自分の持っているものの業や働きを全力でささげたということが記されているのです。

 この箇所に登場してくる貧しい女性が当時のギリシャの最小単位のコイン二枚(当時の労働者の64分の1)を神に献げたとあります。興味深いのは、この女性は2レプトンだったということです。1レプトンを献げ、1レプトンを自分のもとに取っておいたのではありません。持っているすべてを献げたのです。従って、献げたお金は、額としては非常に少ないものでした。この世の価値観では、何ら注目に値するものではなかったのです。 明日の生活費のことを考えないで。ということは、ある意味、明日の命を神のためにささげる意味と私は読みます。当時社会地位のあった金持ちや律法学者たちが信仰深さを示すためにたくさん献げていた。それに対して、貧しい女性は、当時のユダヤの社会では、経済的に貧しいだけでなく、社会的にも地位が低く、非常に弱い立場の人でした。あらゆる所で、不利な立場にありました。当時のユダヤの律法規定では貧しい寡婦や孤児、外国人にはやさしく配慮することとなっていました。しかし、今日の聖書箇所の1節前の40節を見ますと、「また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」とあります。律法を教える者たちやお金持ちたちによって、そのような配慮のある法も、しばしば無視され、女性は虐げられ、搾取されていたのです。表面的に敬虔を装う律法学者や金持ちに比べて、虐げられた貧しい女性には、普通の人は一切注目しなかった。しかし、主イエスは、この女性の神に向かう信仰の姿勢に感激されたのです。

 女性は、明日生きることの生活費すべてをささげたということは、自分の明日を支える「命」をささげたということにつながります。イエスはこの人のすべてを見ているのです。献げる額だけではありません。彼女の立ち居振る舞いや神への礼拝での様子、献げ方も見ておられました。それだけではありません。虐げられていたこの女性の生活全体を、命そのものを見ておられたのでしょう。それが「生活費」という言葉なのです。

 神から与えられた命をどう用いるのか。私たちが神様のために何をささげていくのか問われている所でもあるように思います。そして、イエス自身、この数日後十字架に架けられます。この女性から励まされて、自分の命を苦しむ人のためにささげられたのではないだろうかと私は思います。私は、神のために何をささげられるのだろうか。と考えさせられます。




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